〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法  大岡實建築研究所
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新築設計への契機 −新たなデザインを求めて−
ここでは新築設計活動に入るキッカケとその作品のほとんどが鉄筋コンクリート造で設計されている意味を述べることとする。
1. 大岡(みのる)の苦難と設計活動への転機
2. 鉄筋コンクリート構造の採用
1. 大岡實の苦難と設計活動への転機
昭和24年1月29日、大岡實の人生を大きく左右する事件が起こった。法隆寺火災事件である。当時、大岡實は法隆寺国宝保存工事事務所の所長として法隆寺金堂の壁画保存事業の指揮をとっていたのだが、模写の最中に火災を起こし壁画の一部を焼いてしまったのである。これにより大岡實の管理責任が問われ、休職(公職から追放)の憂き目に遭い、昭和24年7月起訴〜昭和27年5月無罪確定という経緯を辿るのである。
大岡實はこの時点まで文部技師、教育者、建築史家として日本古建築に関わってきたのだが、この一件によりしばらく職を断たれたこともあって社寺建築の新築設計の世界に入ることとなる。
なお、大岡實は,昭和41年10月大岡實先生定年退官記念事業会発刊「日本古建築の特質と私の半生」の中で「自分がなんとか永久に保存しようとして始めた壁画の保存事業で、壁画を焼いてしまったことは、ほんとうに今でも胸をしめつけられる思いである」と述べており、この思いが、設計活動において鉄筋コンクリートを用いて伝統的社寺建築の形態を実現する方向に向かわせることになるわけである。
昭和24年末頃、大岡實は一高時代からの親友であった小野(かおる)氏(元日大教授)の紹介で双堊(そうあ)建築株式会社に入社し、そこで大岡實はそのネームバリューを使って富山市光厳寺(こうごんじ)本堂、京都市醍醐寺消防署や大徳寺消防署等の工事受注に力を入れることとなった。しかしその双堊建築株式会社はまもなく閉社せざるを得なくなる。
昭和25年半ば、大岡實は自宅に勉強部屋を増築し、近所の落合邸、また知人の岡邸、相川邸などの新築工事の依頼を受けて生計を立てることになった。そして昭和26年6月頃になると大岡實の設計受注があった。それは京都市右京消防署新築工事の設計であった。そしてこれが誘い水のようになって次々と社寺建築(宗教建築)を主とした受注が続き、大岡實の社寺建築の設計活動が始動するのである。
「大岡實建築研究所作品目録」にあるように、大岡實の新築作品としては昭和4年の当麻寺の松室院書院(木造)があるが、本格的な設計活動の処女作は浅草寺(せんそうじ)本堂であり、生涯に100棟以上の建物を設計している。
2. 鉄筋コンクリート構造の採用
大岡實は、昭和本堂再建誌(浅草寺 刊行)の中で次のように述べている。
「人々の浄財によって造られる宗教建築が一度の火災によって烏有に帰し、又々巨大な財力を集めなければならないという様な事は技術家としてなすべきではない」と述べ、「再びこのような材料は集まらないと同時に費用も大へんな額になるわけで、構造は費用・防火の点から木造でやるべきではない」とまで言い切っている。そして意匠も形だけの部材を出来るだけ排除したものとしたとも述べている。それは何といっても法隆寺金堂火災事件が大きく起因しているのだが、この防火的にも耐震的にも優れた「近代的な構造法」を用いた形態の追求が大岡實の意匠上の特徴となっていくのである。
また、昭和29年6月の素盞雄(すさのお)神社例大祭に際しての素盞雄神社社殿再建設計要旨においても大岡實は「不燃性建物(鉄筋コンクリート造)にすべき理由」として次のように述べている。
「市街地の人家密集の度は年と共に激しくなり、火災による建物の焼失量は、現在新築の量に追付かぬ状態である。素盞雄神社の地も附近に民家が密集して、火災の危険は十分にある。折角氏子崇敬者多数の浄財を集めて建築した建物が、一朝にして烏有に帰することは頗る残念であり、設計者としても本意でない。神社の為を考えても、亦社会的に考えても、当然鉄筋コンクリートにすべきである。
唯鉄筋コンクリートにする時は、建物の優美さの點に欠ける點のあることを一般には恐れられているのであるが、これは従来の鉄筋コンクリートによる此種の建物の設計者が、近代建築の設計者で日本建築の真髄を知らないためと、日本風の建物を鉄筋コンクリートによって設計する場合の特別の工夫に経験がないためである。
今回は設計者の永年の経験により、この(てん)を十分考慮して設計するから、決して斯る心配は不要のものと確信する。」
(下線は筆者による)
ここには日本建築の第一人者としての自負と人々の満足のゆく設計をしたいという強い意思とが垣間見られるのではなかろうか。

なお、文中の鉤括弧(かぎかっこ)の部分は文中で示した資料や大岡實著作並びに寄稿他から引用したものです。
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