〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法  大岡實建築研究所
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釧路仏舎利塔(北海道釧路市)
この仏舎利塔は釧路市の城山の高台にあり、日本山妙法寺に帰依した地元の「中村水産株式会社」社長の(故)中村小三治氏が私財を投げ打ち、世界恒久平和のシンボルとして完成を目指して当時の公民館館長、丹葉節郎氏ほか多くの協力者と共に横浜国立大学寺院建築専門教授(当時)であった大岡實に設計を依頼したという。
大岡實はこの釧路仏舎利塔を出発点として仏舎利塔の設計を多数手掛けることとなるが、まずその経緯について簡単に述べてみたい。
大岡實が設計した仏舎利塔のその殆んど全ては世界平和を標榜する藤井日達(ふじいにったつ)上人が創設した日蓮宗系の新興宗教である日本山妙法寺の依頼によるものである。(姫路仏舎利塔のみ姫路市の依頼である)
大岡實は日本山妙法寺との出会いについて昭和45年の日大工学部建築学教室発行の教室報「創建」の中で次のように述べている。
「もう20年程前になるが、或る日この日本山妙法寺の一人の僧(橘上人)の訪問をうけた。今は故人になったが、私の同級生で当時清水建設の営業部長をしていた小川昌三君の紹介であったので、会って話を聞いてみると、藤井日達上人は、釧路はもっともソ連に近いところであるから是非平和祈念の仏舎利塔を建設しろと命ぜられ、そして「必ず仏縁のある人があらわれるから、捜して設計を依頼せよ」と言われたのであるが、それ以来いくら捜しても心あたりがないので、北海道札幌の清水建設の支店長時代に面識のあった小川昌三氏を本社にたずねて、「天下の清水建設であれば、できるであろうから仏舎利塔の設計をお願いする」と言ったところ、「いかに天下の清水建設でも、そんな特殊なものの本格的な設計はできるものではない。幸い自分の友人に大岡という古建築を専門に研究しているのがいるから、そこへ行ってたのめ」と言われたので設計をお願いに参上したとのことだった。しかし私は日本建築の専門家であり、印度の建築のことも多少は本を読んでいるけれども深くは知らないので、一度はためらったが、考えてみると、日本に印度建築を手がけられる者はあまりいないことも事実である。この際一つ印度建築を研究してみようかという気持ちになったので、「私は日本建築が専門だが、私にやれと言われるならば、勉強しながらでよければやってみてもよろしいが」と答えたところ是非たのむとのことだったので、できるだけ印度建築の図録を集めて、設計にとりかかった。これが私の日本山妙法寺に縁のできたはじめである。その後、藤井日達上人に直接お目にかかって、世界平和運動のことを聞き、その熱烈でしかも純真無垢な宗教的熱情にすっかり傾倒して、日本山妙法寺に協力することになったのである。」
こうして最初に手掛けたのが「釧路仏舎利塔」であった。新版仏教考古学講座/雄山閣によると、大岡實は「手あたり次第本を集めて写真勉強はできるだけやったが、建築の実体を感覚的に把握するには実施検査以外にない。是非一度インドおよび周辺の国を調査したいと思っていた。」そして「日本山の仏舎利塔と私」という草稿によると、釧路仏舎利塔の後、「二、三の仏舎利塔の設計をしているうちに昭和三十二年の春突然文化財関係の建築家および技術者の国際会議でパリへ行くことになった。」その折にヨーロッパを一巡したあと、インド建築の実物を調査研究したいと全インドを巡る機会を得た。そしてこの調査旅行でインド建築の実際の手法の本質的なものを体得し得て、以後仏舎利塔の設計に、ある程度の自信をもって取り組むことがが出来るようになった」と述べている。
つまり、この釧路仏舎利塔は上記のインドおよび周辺の国を調査する以前の「手あたり次第本を集めて写真勉強はできるだけやった」時点での設計作品ということになる。

最初の仏舎利塔作品であり、後のコンクリートのままの仕上げ(または塗装仕上げ)とは違って全面石張りの仕上げとなっている

塔の四面にはブロンズレリーフが設置されている

塔の東西南北に飾られたレリーフは仏像彫刻家の斉藤高徳氏の作品で鋳造は美術鋳造家の高原四郎氏が手がけたという
写真左上は塔正面の「正道仏」、右上は塔北面「涅槃仏」左下は塔東面「誕生仏」、右下は塔南面「初転法輪仏」である

設計図
水煙のデザイン

最上部の蓮華の上の大宝冠と呼ばれる特殊鋳造の宝冠も美術鋳造家高原四郎氏の手になるという


記念碑には大岡實の名がみえる

遠景から見る

さて、ここに釧路市城山仏舎利塔建立会のパンフレットの写真が残っている。

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「モッコ運び」という儀式での大岡實

右から二番目が設計指導中の大岡實

右から二番目が施工指導中の松浦弘二

左から三番目が大岡實

中央が松浦弘二

設計図とある/姿図には蓮弁があるが設計変更されているようだ

工事中の写真

釧路市城山仏舎利塔建立会のパンフレットの表紙/スケートをしている市民がみえる

完成当時の新聞

当時の竣工写真

年月 西歴 工事名 所在地 工事期間 助手 構造設計 施工 構造種別
昭和36.06 1955 釧路 仏舎利塔 北海道釧路市 昭和30.06〜33.10 松浦弘二 小野薫・田中尚・佐治泰次 自営工事 RC造
施工は「自営工事」となっているが、信者の手によって建設するというのが日本山妙法寺の仏舎利塔建設の基本的な方針であり、そのため完成までには長い年月を要することとなったようだ。

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