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印度風寺院建築 |
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「元来我が国の寺院建築は木造一筋に発達してきたが、明治維新後の欧米文化の輸入に伴い、新しい建築材料や構造法が登場してくる。(中略)中でも耐震耐火性に優れた鉄筋コンクリート造には深い関心が寄せられた。」
「たまたま突発した関東大震災の洗礼により、建築学に鉄筋コンクリート構造の長所が再認識され(中略)その基盤は一層確立して、罹災(りさい)寺院の復興などに採用されるようになった。」 |
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(コンクリート造の寺院建築 横山秀哉著 彰国社)
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横山氏は終戦後、本格的なコンクリート造の寺院が建立されて、造形的に多様化していく中に、コンクリート造寺院の建築様式の分類を試みている。
その大きな分類として、伝統式、印度式、近代式の三つを挙げている。
伝統式とは、言うまでもなく伝統的木造寺院建築様式であり、大岡作品の大半はこの分類に属する。しかし大岡はそこに留まることなく、印度式と分類される作品も残している。
コンクリート造寺院にふさわしい様式確立を目指す試行錯誤の中で、印度式寺院の出現について、横山氏は次のように述べている。
「ここに仏教の故地であるインド地方の様式意匠をかりて、コンクリート造にふさわしい寺院建築のいわゆるインド式の着想が生まれる。」
鉄筋コンクリート造という手段を用いて、直接的に印度様式意匠を採り入れられることになり、日本国内において印度式という新たな建築様式の可能性を切り開いていこうというわけである。
その実例となる寺院が昭和初期には姿を見せている。 |
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西本願寺神戸別院本堂
昭和3年
設計:大谷尊由
インド式西域型(横山氏分類) |
東京築地西本願寺別院本堂
昭和9年
設計:伊東忠太
インド式築地型(横山氏分類) |
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大岡が設計活動に入るのは戦後であるが、印度式の作品は昭和40年代になってからである。その設計にあたっては入念な調査をするため、印度及び周辺国へ何度か足を運んでいる。また先人たちの様式意匠にも当然影響を受けていることが想像される。
その上で、大岡はどのように独自の印度風社寺建築を造り上げていったのであろうか。 |
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・こちらをクリックすると龍谷寺詳細がご覧になれます。 |
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□ 龍谷寺 観音堂 (1965年竣工) |
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印度風のデザインには、お寺からの要望があった。
龍谷寺住職は、曹洞宗ハワイ別院正法寺の建立に係っていた。(1952年竣工)
その形態は、インド・マハーボーディ寺院を模したものであった。 |
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曹洞宗ハワイ別院正法寺 |
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大岡撮影
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インド・マハーボーディ寺院 |
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大岡撮影
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お寺では、観音堂の建設計画に際し、ハワイ別院に習い、印度風外観のお堂を望んだ。
そのような構想を実現できる設計者を探した結果、大岡實に依頼が来たようだ。 |
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(現住職の奥様の話) |
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かくして大岡は印度風社寺建築の設計に取り組むことになった。
龍谷寺の歴史パンフレットに、大岡の設計説明が残されている。
「この建物はインドグプタ朝時代の建築様式に範を取り、およそ千五百年ほど前のインドでも佛教の盛んな頃の佛塔を手本としたものである。」
龍谷寺に計画段階の石膏模型が保存されている。
実際の建物は細部のデザインが多少変更されている。しかしこの模型のデザインこそが大岡が最も表現したかったものに違いない。 |
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印度風寺院建築のデザインソース(龍谷寺観音堂) |
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■ キーワード−1 「チャイティア窟」 |
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チャイティアとはブッダを暗示ないし象徴するもの、菩提樹、仏足石、法輪、台座などの総称である。
石窟寺院ではチャイティアとは、菩提樹よりも本尊のストゥーパを指すという。 |
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インド古典文化の黄金期グプタ朝の代表的な寺院。アジャンタ石窟寺院のチャイティア窟。前面がアーチ状になっていて、かまぼこ形のヴォールト天井を形成している。 |
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チャイティア窟の第9窟のファサード、アジャンタ、前1世紀 |
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■ キーワード−2 「階段状の佛塔」 |
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階段状の建物で、傘を模した屋根が特徴である。 |
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大岡撮影
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インド石造寺院建築は、南インド・北インドの民族的相違により、それぞれ異なった造形のスタイルが出来上がっていった。 南方型寺院と北方型寺院である。
サンガメーシュワラ寺院は、南方型寺院建築の特徴をよく表している。
水平層が階段状に積み重なって、ピラミッド型の塔を形成し、頂部に冠石を乗せる形式である。
大岡の着想に、この南方型寺院建築があったことは間違いないであろう。 |
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大岡資料によると、海外視察でインド「海岸寺院」などにも足を運んでいるようだ。 |
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大岡撮影
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■ キーワード−3 「円形屋根」 |
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大岡撮影
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大岡の恩師、伊東忠太の印度風寺院建築 |
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東京築地西本願寺別院本堂 |
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■ キーワード−4 「欄楯(らんじゅん)」 |
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「欄楯」は仏塔の外柵であり、インド・ボードガヤに見られる。 また東京築地西本願寺別院にも「欄楯」をモチーフにした塀がある。 観音堂は、段状の外壁に「欄楯」のデザインを用い、高欄としている。
チャイティアとして「欄楯」を施し、さらに象徴性を高めようとする意図が読み取れる。 |
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大岡撮影
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東京築地西本願寺別院本堂 |
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年月 |
西歴 |
工事名 |
所在地 |
工事期間 |
助手 |
構造設計 |
施工 |
構造種別 |
昭和37.12 |
1962 |
龍谷寺観音堂 |
新潟県南魚沼郡大和町大崎 |
昭和37.12〜39.04 |
松浦弘二 |
国建築事務所 |
大成建設 |
RC造 |
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より大きな地図で 大岡實建築研究所 建築作品マップ を表示 |
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・こちらをクリックすると川崎大師平間寺薬師殿{旧自動車交通安全祈祷殿}(1970年竣工)詳細がご覧になれます。 |
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□ 川崎大師平間寺薬師殿{旧自動車交通安全祈祷殿}(1970年竣工) |
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□ 川崎大師平間寺新自動車交通安全祈祷殿 (2006年竣工) |
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薬師殿 |
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自動車交通安全祈祷殿航空写真 |
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川崎大師平間寺は戦災で本堂、山門をはじめ全ての木造建築物が焼失し、壊滅的被害を受けた。
戦後の伽藍再建は大岡實に託されることとなり、本堂、不動堂、三宝殿が落慶し、信徒会館の構想が完成した頃である。自動車の急速な発展により交通事故が増加し、交通安全の祈願という新たな機能が求められていた。
そして引続き大岡は、自動車交通安全祈祷殿の設計を依頼されたのである。
どのようなデザインがふさわしいのか、大岡は「お寺と何回も何回も話し合いをした。」と苦心した様子で、印度風寺院デザインに至った経過を次のように述べている。
「大本堂が純木造で信徒会館が日本建築と近代建築の折衷。はじめは日本の寺院建築を考えてみたのですが、それにはどうしても大きな屋根をつけなければならない。経費の点でなかなか大変なのです。
それならば一応、大本堂、信徒会館、祈祷殿・・・この三つの建築物の調和を考えてみたうえでいっそインド寺院風な設計にしたらどうだろう・・・お寺に構想をお話ししたところ賛同してくださった。」 |
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川崎大師だより昭和45年臨時号より
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境内の建築物の調和を考え、自らインド寺院風のデザインを提案して、お寺の賛同を得たのである。印度風寺院の設計は、すでに龍谷寺観音堂で経験しており、コンクリート造の新たなデザインの可能性を追求したいという意欲と、今までにない建築物を創り上げるという自信が表れている。 |
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全体のプロポーションを検討するため、お寺にお願いして模型を作ったという。 |
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石膏模型:川崎大師平間寺薬師殿{旧自動車交通安全祈祷殿}
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印度風寺院建築のデザインソース(川崎大師平間寺自動車交通安全祈祷殿) |
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■ キーワード−1 「塔形式の寺院」 |
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「いちがいに塔といっても、日本の五重塔などは塔婆をかたどった建築物だが、インドのブッタガヤにある大塔は、塔の下にご本尊のお釈迦様がお祀りしてある厳然たる仏堂なんです。私は、はじめにすぐブッタガヤの大塔を頭に描いたわけです。」 |
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川崎大師だより昭和45年臨時号より
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インド・マハーボーディ寺院 |
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大岡撮影
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■ キーワード−2 「三塔形式」 |
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「ブッタガヤのは、中央に高い塔が立っていて四隅に一つずつ小さい塔がある。私もあの形を採ろうかと思ったが、祈祷殿の奥行がそう広くないので、五つ全部入らない。大本堂に安置されている三像に思いあたり三塔の形をとることに決めました。」 |
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川崎大師だより昭和45年臨時号より
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五塔形式(五堂形式)ヒンドゥ寺院の基本形として、本堂(聖室+拝堂)があり、その対角上の四方に独立小祠堂を建てる。これを五堂形式という。 |
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五堂形式の寺院例 |
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インド・マハーボーディ寺院 |
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大岡撮影
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大岡撮影
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アンコールワット、カンボジア |
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五堂形式の着想から敷地条件により、三塔形式に発想転換していく様子が、当時の川崎大師平間寺馬本克美総務の説明の中に読み取れる。
「自動車は大衆の生活の中に密着し、必需品となっている。しかしその反面、走る凶器として人間を悲惨な運命へと巻き込んでゆく。 そこには安心がまったくない。 人間としての安心がないならば、まさに悲劇といわねばならない。ここに、仏・法・僧の三宝によって安心を得られる道場こそ、祈祷殿建立の願望である。」
「大岡博士は、いろいろと熟慮された結果、インド寺院風な設計の構想を発表された。三つの塔 : それはブッタガヤの大塔から着想され、かつ仏・法・僧を表徴しているという。それぞれの塔にご本尊弘法大師、不動明王、十六善神をまつり大塔の上に法輪を置く。これまさに、遍照金剛である。」
大岡は、五堂に固執することなく、三つの塔を三宝になぞらえる新しい形式、「三塔形式」をつくりあげたのである。 |
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川崎大師だより昭和45年臨時号より
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■ キーワード−3 「シカラ」 |
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中世ヒンズゥ寺院は、南方型と北方型に二分できる。
北方型寺院の特徴はまず、「シカラ」と呼ばれる塔を持つ形態である。
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「基本的には、正方形プランのガルバグリハ(聖室)の上に、砲弾形の塔状部を立ち上げその上にアーマラカ(溝つき円盤)を載せ、小さなカラシャ(頂華)で締めくくる。この上部構造全体をさしてシカラと呼ぶ。」 |
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インド古寺案内 小学館 より
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大岡にとって二度目の印度風寺院建築の設計となった。 最初の龍谷寺観音堂では、南方型デザインを採用したが、今回は北方型デザインとなった。
もともといつかは、北方型にもチャレンジしたいと思っていただろうと想像するが、三塔というアイデアから、この設計では、必然的に北方型デザインに向かうことになったのだろう。
北方型寺院の象徴シカラを持つ寺院は数多く残っている。 |
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大岡撮影
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大岡撮影
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大岡撮影
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祈祷殿の構想は決まり、具体的な各部のデザインを、大岡はどのように
まとめていったのだろうか。
印度方面の海外視察の写真・資料及び、印度建築・印度美術の文献が、
大岡資料に残されている。
文献
☆ INDIAN ARCHITECTURE (Buddhist and Hindu Periods) by PERCY BROWN
☆ THE ART OF INDIAN ASIA by HEINRICH ZIMMER
これらを参考にして、デザインを積み上げていったようだ。 それを示す設計メモがある。 |
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設計メモに着目した要素が書き込まれている。
これらの要素はいったい何から引き出され、何を意味しているのだろうか。 |
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■ キーワード−4 「馬蹄形の入口」、「四角な入口」 |
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アジャンター石窟寺院、チャイティア窟 |
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大岡撮影
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大岡撮影
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大岡撮影
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大岡撮影
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祈祷殿を見てみよう。 |
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大塔(シカラ)がご本尊(弘法大師像)の上に立ち上がっている。 |
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馬蹄形の入口 |
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祠堂、四角な入口 |
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馬蹄形の中に配された「羯磨」 |
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大塔(シカラ)上部には冠石に代り、金色の「大法輪」
小塔(祠堂)上部には「宝珠」が輝いている。 |
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川崎大師だより昭和45年臨時号にその説明文がある。
大法輪
「如来(ほとけ)の教えの事を法輪といい、この如来の教えを説く事を、法輪を転ず;転法輪といいます。このたび、新自動車安全祈祷殿の中央大塔の上に掲げられた大法輪は、如来(お大師様)の教えを象徴するものであります。」
宝珠(水煙付)
「正しくは如意宝珠といい、{自分の意(こころ)の欲するが如く、諸宝を雨(ふ)らす宝の珠}というです。仏菩薩(お大師様)の功徳は、わたくし達衆生(しゅじょう)の願に応じて、その願意、心願を満足成就し、更には一切の衆生を饒益せずにはおかない、という事を象徴したものです。なお、宝珠の上の水煙は、宝珠の功徳を表す?(ほのお)を形どったものであります。
羯磨(かつま)
仏さまが、本来具えている作業智を表現したもので、三鈷杵(さんこしょ)を十字に組み合わせた形をしています。 三鈷杵が四つ、すなわち十二あることから、流転する十二因縁を摧破(さいは)して涅槃の十二因縁とする意味があります。」
作業智 : 衆生(しゅじょう)の作業、所作(しょさ)を成辨、成就する知恵
衆生の作業、所作を成就するということは、とりもなおさず、お大師さまのご誓願であります。衆生の心願、祈願を成就満足させることです。
大岡は細部についても、入念に印度寺院を研究をし、さまざまなデザイン要素を抽出した。そしてその中に、日本仏教独自の意味合いを散りばめている。
ひとつひとつのデザインが、お寺(宗教者)と一体になって意味づけされているのだ。
どのデザインも、決して曖昧な模倣ではなく、祈祷殿を造り上げるのに、欠かすことのできない要素して吟味され、大岡独自のデザインに昇華されている。
横山秀哉氏は、本願寺築地別院をインド式築地型と呼び、神戸別院をインド式西域型と呼んだ。
また、この祈祷殿をインド式西域型に分類している。
横山氏は当時、こう論評している。
「西域型は築地型に比べ造形的から見てやや異端性が強く、まとまりにも欠くためであろうか、その影響力はさらに少なかったと思われるが、最近川崎大師平間寺祈祷殿が、この種の威容を出現し、築地本願寺本堂と対峙を見せるに至り、今後の影響に興味がある。」 |
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川崎大師平間寺祈祷殿{旧自動車交通安全祈祷殿} |
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年月 |
西歴 |
工事名 |
所在地 |
工事期間 |
助手 |
構造設計 |
施工 |
構造種別 |
昭和45 |
1970 |
薬師殿 |
川崎市川崎区 大師町4-48 |
昭和44.08〜45.12 |
松浦弘二 |
松本曄 |
大林組 |
SRC造 |
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川崎大師平間寺新自動車交通安全祈祷殿 |
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年月 |
西歴 |
工事名 |
所在地 |
工事期間 |
助手 |
構造設計 |
施工 |
構造種別 |
平成16.02 |
2004 |
新自動車交通安全祈祷殿 |
川崎市川崎区 大師河原 |
平成16.02〜17.11 |
松浦弘二・隆 |
大林組 |
大林組 |
RC造 |
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