〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法  大岡實建築研究所
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設計活動の業績と継承
大岡實は意匠とRC構造との合理性を追求すると同時に日本人特有の美意識にかなう美しい社寺形態の探求に努めてきた訳であるが、昭和62年(1987年)に87才で逝去する。
当時、大岡實建築研究所は大岡實が80才代後半と高齢であり、実務の大半は助手の松浦弘二(当時70才代前半)が対応していた。大岡實が亡くなった後は、いかに大岡實の社寺建築に対する思いを継続できるかが課題であったのだが、幸いなことに川崎大師平間寺からの設計依頼は相変わらず続くことになった。その最初の作品が清浄光院である。
川崎大師平間寺は繁華街にあるため境内地を拡張することは困難であり、新たな建物を計画するにもそのスペースを造り出すため、寺の関係者は大変なご苦労をされていた。
清浄光院の用途構成は1階2階にお檀家のためのお堂を二つ、3階に寺宝収蔵庫、地下には大型倉庫である。限られたスペースに多種の用途を詰め込んだ建物である。
課題はこのような複合用途をコンパクトにまとめ、川崎大師伽藍に調和し、さらにアイデンティティーある形態を創ることができるかである。
出来上がった清浄光院を見ていただくと外観からは一つのお堂をイメージされる。この建物が地上3階建てとは思われないであろう。種を明かせば欄楯を廻らせている基壇部分が1階であり、屋根まで間に2階3階を組込んでいる。いわゆるカーテンウォール形式である。そして中央に象徴となる八角塔を載せ、ペントハウスとして利用している。鉄筋コンクリート造ならではの技である。境内には八角五重塔と信徒会館の塔があるが、それぞれと呼応する3本目の塔となり境内のシンボルの一つとなった。また木造では困難な程の屋根の軒の深さと跳ね出しの様子は鶴翼をイメージしており、鉄筋コンクリート造の特性をいかんなく発揮させている。
落慶後、お檀家の方々からの評判がとても良いと当時の御貫首様(第44世、中興第1世)からお褒めの言葉をいただいた。
多機能、複合の建物であっても、伽藍全体の調和を保ちながら日本人特有の美意識にかなう美しい社寺形態の探求を継承する第一歩の作品になったのではないかと思われる。
その後は後継者の松浦弘二も平成16年に89才でこの世を去った。多くの作品を創出した二人であったが、ここで第一幕が終了したのである。
川崎大師平間寺清浄光院/平成7年(1995年)〜平成8年/意匠設計:松浦弘二・隆/RC造
このデザインは昭和29年02月(1954年)の浅草本願寺(東本願寺)の霊堂などを緒にした大岡實建築研究所の作品のスタイルの一つとなっているようだ。
昭和29年02月(1954年)/東本願寺 浅草霊堂/東京都台東区

(諸事情により取り壊されている)

立面図
  昭和30年06月(1955年)/本能寺 本堂/静岡県沼津市   
     
     
  大岡實は「建築歴史はデザインと結びつかなければ何の意味もない」(日本古建築の特質と私の半生/大岡實先生定年退官記念事業会/昭和41年10月10日 より)と長年の文化財調査・修理や建築史研究で培った日本人の造形感覚を、意匠とRC構造との合理性を追求する中で現代の社寺建築として実現させてきた訳である。そして当ホームページでは、現代に見合った、かつ日本古来の伝統を重んじ、日本人が好むデザインによる社寺建築を標榜し、沢山の人々から慕われる社寺建築を創造してきた大岡實建築研究所の業績を後世の人々に伝え、今後社寺建築の設計を志す一人でも多くの人材が、これらの大岡實の作品や業績に学び育ってゆくことを願いたい。大岡實はそれを心待ちにしているに違いない。


さて、大岡實は浅草寺本堂を始めとして生涯に100棟以上の社寺建築物を設計してきた。幸いにも手掛けた建物は、施主からの評価も良く大切に使用されている。そしてその地域のシンボルとして街並みに溶け込み、人々から親しまれる存在となっている。
しかし最初期の建物竣工からすでに半世紀を過ぎており、その間には耐震基準が変更され当時の基準からは大幅に厳格化されている。従って現行基準に適合できない建物もあるのだが、昨今の震災被害例により耐震化の要請は日毎に増してきている。特に社寺建築という半ば公共の場の安全性の確保は社会的ニーズとなっている。
大岡作品のほとんどは鉄筋コンクリート造であり、耐震化の手段は鉄筋コンクリートの保全と構造補強である。
鉄筋コンクリートの保全とは、コンクリート強度確保の確認であり、鉄筋腐食予防のためのコンクリート中性化防止対策である。構造補強については、一般的に耐震壁の新設や耐震ブレースの設置などがよく行われる。
一般的に耐震化を行う場合をごく簡単に説明すると、まず前段として耐震診断を行う。テストピースを採取しコンクリートの強度や中性化の状況を把握して、現行基準に従い構造計算をする。基準をクリアすれば補強の必要はないのだが、下回った場合には補強することになる。しかし補強をする場合に、いままで通りの使い勝手を保持できるのか、建物の姿形が損なわれることがないのか不安なところである。特に社寺建築にとっては姿形は最も重要なポイントであり、人々の慣れ親しんだ景観こそが信仰の対象となっているからである。
大岡實建築研究所では、今までに設計をさせていただいた神社・寺院などから耐震化の相談も受けることもあり、建物の機能面と姿形について損なうことのないように耐震補強設計を行っている。
今後もいままでと同じように人々に安寧と安らぎの空間を提供するよう各建物を保持していくことは「大岡實の思い」を継承していく一環であると考えている。

以下に近年耐震診断及びその結果を踏まえて耐震補強を行った事例を取り上げる。 
 
     
  稲 毛 神 社 社 殿   
耐震化前の正面の姿 耐震化後の正面の姿
     
  耐震診断の結果により耐震壁新設による補強を行った。正面両脇の引違い戸をそれぞれ片引き戸に変更、袖壁として耐震壁を設置した。外部壁仕上は他の既存壁に合わせ漆喰調白壁とした。
耐震壁配置については神社側への丁寧な説明を基に打合せを進め、完成時には「違和感はなく、むしろこちらのほうが気に入っている。」とのお言葉をいただけた。

また、施工を担当した会社がその後に耐震補強した大岡作品の耐震化事例を二例見てみよう。
 
     
  浅 草 寺 本 堂   
  耐震化後の外観  
     
   撮影 中塚雅晴氏  
     
  浅草寺では耐震化の対策として、本瓦葺き屋根を軽量化するためチタン合金瓦棒葺き屋根に改修している。
チタン合金瓦棒葺きは近くから見ても瓦と見間違うほどの出来栄えである。 
 
     
  霊 友 会 弥 勒 堂   
   免震装置設置後  
     
 

撮影 中塚雅晴氏 

 
     
  霊友会弥勒堂では耐震化が必要との結果であったが、象徴となる形態を損なわないため基礎部分に免震装置を設置、外観には一切手を触れず対策を行っている。


追記  大岡實建築研究所からのメッセージ
その後を継承した私たちにとって大岡實の「社寺建築設計への思い」は残されたそれぞれの作品に色濃く残されていると考えています。その「思い」を現代の方たちそして後世の方たちに感じとっていただきたく、各作品の紹介をして大岡實の設計手法を解説してゆこうとしています。多くの方が「日本人特有の美意識にかなう社寺建築設計への思い」に共感をいただき、その実践に生かしていただければ幸いです。 
 
     
  大岡實建築研究所の、新しい材料を活用し、日本人の好む飛鳥・奈良調の気分を持つ社寺建築の設計のあり方は、今後の社寺建築デザインの目指すべき方向を示唆するものとなっている!   
     
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