〜社寺建築☆美の追求 大岡實の設計手法  大岡實建築研究所
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高島城(長野県諏訪市)
高島公園から見た天守閣(三重五階)
諏訪市のホームページによると、高島城は別名「浮城」とも呼ばれ、400年ほど前の慶長3年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部高吉」により築城され、諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきたという。また、諏訪市教育委員会刊行の「諏訪高島城―諏訪の神氏系図―」によると、明治維新を迎え、払下げが行われて、明治8年には天守閣も破却され、その後は石垣だけは崩されず高島公園として一般に開放されて今日に及んだが、約100年に及ぶ諏訪市民の復興への願いが市民の募金運動となって実を結び、昭和45年5月、廃藩置県によって撤去された高島城は綿密な時代考証の上に、再び美しくよみがえり、落慶の運びとなったという。
ちなみに再建復興の資料となったものとしては、明治4年に撮影された破却される前の三枚の写真、実物を見知った人々も残っていたこと、諏訪図書館所蔵の幾枚かの絵図そして高島城に関する建築史学上の論文として昭和19年7月発行「建築学会論文集第31号」に初めて発表された工業大学助教授藤岡通夫氏の「信州高島城天守復原考」という研究論文などがたいへん役だったという。(次頁の写真参照)

明治4年に撮影された破却される前の写真/竹田凍湖氏の撮影とある

左手手前は角櫓/右手遠方が天守閣/その間に冠木橋と冠木門の屋根が見える

南面立面図               東面立面図
北面
拡大写真
拡大写真
拡大写真
北東側から
南東側から

右手の石碑には復興碑とある

石垣の足元に「小天守跡」との表示がある

断面図
三層部分の妻面詳細図
一層部分の妻面詳細図
軒廻り詳細図
高島城では天守閣(鉄筋コンクリート造)のほか冠木門及び角櫓(共に木造)を設計している。
冠木橋と冠木門

冠木橋から冠木門を見る

冠木門

「冠木門跡/冠木橋を渡ったところに冠木門があった。冠木門とは、左右の柱の上部に一本の貫を通しただけの簡単な門のことをいうが、高島城を描いた絵図からは、楼門あるいは高麗門と呼ばれる屋根付きの門であったことがわかる。おそらく、当初は冠木門であったものが、後に楼門に建て替えられ、名称のみ残されたものであろう。/諏訪市教育委員会」

立面図
断面図

城内側から見る

上部側面を見る

角櫓

城内側から見る

高島公園内にある「高島城 浮島ともいう」という説明板には「今度の復興については文部省文化財専門委員大岡実博士の設計により、破却当時の姿を忠実に再現したものである」と記されている

さて、更に史跡を見てみよう。(城郭構造は連郭式平城とされる)

インターネットより

高島公園内にある「本丸御殿跡」の説明板

三之丸御殿裏門/明治期に払下げされていたが、昭和63年に所有者から市に寄贈されこの地に移築されたという

城内側から見る

三之丸御殿裏門(御川渡門跡)の説明板
諏訪市文化財である「高島城本丸の堀と石垣」の説明板/「石垣は、野面積(のずらづ)みで、稜線のところだけ加工した石を用いている。地盤が軟弱なので、沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣を積んでいる」とも記されている。
富士見櫓跡の表示  多門跡の表示
多門跡の表示  多門跡の表示 
持方月櫓跡の表示
石集配湯桝
高島城亀石
ここに数枚の写真が残されている。
天守閣の背後には諏訪湖が見える

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大岡實(前列右から6人目) 松浦弘二(左から3人目)

表彰を受ける大岡實(中央列上から3段目)/落慶法要記念冊子より

インターネットより

参考ホームページ
http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kosin/takasima.html
http://www.suwakanko.jp/takashima_ocha/index.html
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