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聖光寺 本堂(長野県茅野市) |
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蓼科山聖光寺は交通安全の祈願、交通事故遭難者の慰霊、負傷者の早期快復の祈願寺として昭和45年に建立された。
ここでは本堂・鐘楼・庫裡・山門と伽藍全体の計画が行われている。
写真を見ての通り、本堂の重層の屋根は錣葺入母屋造に鴟尾がのる。二重の軒反りのゆるやかな曲線が美しい。二層目の工夫されたデザインの高欄がキュッと引き締まった感じを与えており、全体のバランスに貢献している。また、正面の柱と桁で区画された方形は中央が正方形に近く、両端は柱間が短くなって下回りの安定感を増している。全体としては小ぶりであるが、しっかりとした伝統美を実現しているのではなかろうか。
また、この本堂を設計するに当たり、法隆寺金堂がベースになっていると思われる。(末尾の法隆寺金堂「大岡博士の推定復元図」を参照) |
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昭和42年(1967年)に計画された本堂・鐘楼・庫裡・山門の案
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大岡實直筆の基本計画図
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鐘楼や庫裏も描かれている
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設計図(平面・立面)
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正面
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正面立面図
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右側面
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側面立面図
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錣葺部分の屋根に屹立感があり全体のデザインに緊張感をもたらしている
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この聖光寺本堂も医王寺本堂に始まる錣葺屋根、そして眞光寺本堂や法蔵院本堂のデザインと似た挿肘木による斗拱など大岡實建築研究所独自の特徴が見てとれる。 |
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妻及び軒廻り詳細図
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錣葺部分および挿肘木部分拡大図
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錣葺屋根、挿肘木等の詳細を見てみよう。 |
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錣葺屋根の妻側を斜め方向から見る
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正面から上層の屋根と下層の屋根の取り合いを見る
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側面から見る
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垂木は一軒であるが、工夫されたデザインの挿肘木と丸桁によって持ち
送られ十分な軒の深さとなっている/挿肘木を長押が受けている形が見てとれる
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高欄/妻面の猪目懸魚/鴟尾
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断面詳細図
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さて、聖光寺では本堂の他に鐘楼も作品として実現している。 |
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正面
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側面 |
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軒廻り詳細
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独特なデザインの斗拱となっている
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立面図/屋根は本瓦葺きとなっている
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なお、屋根を銅板葺きにした設計図も検討されている。 |
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平面及び立面図
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断面図
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また、実際の鐘楼とは別のデザインの図面が残されている。
(当初の計画と思われ、コンクリート造となっている) |
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こちらのデザインで造りたかったのかもしれないが実際の鐘楼は木造で現在の形になっている
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年月 |
西歴 |
工事名 |
所在地 |
工事期間 |
助手 |
構造設計 |
施工 |
構造種別 |
昭和44.03 |
1969 |
聖光寺 本堂 |
長野県 蓼科 |
昭和44.03〜45.06 |
松浦弘二 |
竹中工務店 |
竹中工務店 |
RC造 |
昭和44.10 |
1969 |
鐘楼 |
長野県 蓼科 |
昭和44.10〜45.06 |
松浦弘二 |
松浦弘二 |
安田工務店 |
木造 |
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活タ田工務店 千葉県市原市八幡2062
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ここで、大岡實は下記のような法隆寺金堂の推定復元図を作成しているが、聖光寺本堂と見比べてみよう。 |
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「炉端の会勉強会資料 建築史家大岡実の設計活動について 安田徹也 2009.05.13」より
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聖光寺本堂正面図
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大岡實の法隆寺金堂に対する執着心が感じられる
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さて、ここに一枚の施工中の写真が残っている。 |
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そして、「蓼科山聖光寺の落慶記念に寄せて」という記事の中には時の総理大臣である佐藤栄作氏の祝辞が紹介されている。 |
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拡大版/「トヨタ自動車販売」の神谷正太郎氏の発願による建立の経緯が記されている
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また、この冊子によると建立に当っては薬師寺長老橋本凝胤氏の支援があったことも記されている。
そしてここに聖光寺の施工の責任者であった斎藤昌昭氏(元竹中工務店)の興味深い、貴重なインタビューがあるのでご紹介したい。
斎藤:(中略)聖光寺、トヨタ自動車販売の聖光寺っていうのを、すぐ来春から大岡先生の所に行って図面描きの手伝いをすることになった。で、一か月ぐらいかな、図面描きに行きました。で、図面描きが終わった後、それを施工した。
斎藤:(中略)(写真をみて)これが安田工務店さんにその時に頼んだ鐘楼ですね。だから私はその時に、安田さんの大工さんや会社の人に会ってるんです。「じゃ現地にいつ乗り込んで、どういう準備をしとかなきゃ」っていう工事の打合せを全部やったんです。所長じゃないけど、所長の代理人として、その辺の事を全部指示してやったりなんかしてる訳です。聖光寺本堂の基礎と基壇については私が現地で施工図引いて、それなりの事をやってる訳です。
安田:何故この時は鐘楼だけが木造になったのですか。
斎藤:規模が小さくて部材的にコンクリートじゃ無理だからじゃないですか。そんなに大きいもんじゃないから。
松浦:聖光寺鐘楼の最初の案は鉄筋コンクリートで描かれていますが、何故か実施案では木造になっています。
斎藤:じゃ予算でしょ。この実施案の図面は安田工務店さんで描かれた図面だと思います。
安田:確かに、聖光寺鐘楼の二十分の一の図面は、安田工務店で描いた物の様に見えます。
松浦:タイトルだけうちの父(松浦弘二氏)が書いたという事なんでしょう。
斎藤:あと、本当は聖光寺の庫裏についても大岡事務所で描いた図面があったんです。実際に建てたものは竹中が設計した事になっているんですが、大岡事務所としての案もあったんです。で実際に大岡先生が描いた原図から私が起こした図面があるんです。それは多分どっかにあると思います。たまたま松浦さん(松浦弘二氏)が他へどっかへ行くんで、「大岡先生がマンガ描いて持って来るから、それ聞いてちょっと描いてくれ」って事で。矩計的な寸法は多分押えてあったと思うんです。それに合わせて、大岡先生が文章で書いているんです。「ここは平(ひら)三斗(みつど)だよ」とかさ。こんな感じだっていうのが書いてあって、それを「図面化してください」って頼まれてね。だけど実施してないから現地の私の方にはその図面は流れて来ませんでした。
松浦:という事は、大岡先生とそういう話をされていたんですね。
斎藤:そう。(中略)要するに正月終わりぐらいから二月の節分くらいの時期に大岡事務所に行って聖光寺の庫裏の図面を描いていたって事です。(中略)
松浦:聖光寺本堂の時は大岡先生はどのくらい現場に来ていたんですか。
斎藤:地鎮祭と竣工式と、あと一回私が依頼して来てもらった事がありました。最初、上層の屋根を、瓦は奈良の瓦宇なんだけど、葺師は岐阜の何とかさんっていう瓦屋が来てやったんだけど、何かちょっと見てて「ちょっとおいおい、線が違うんじゃないの」って思ったもんで、「見てくれ」って事で。そしたら「初層の屋根を積む頃に電話をくれ」って言われて、その頃に連絡をとったら、一応見に来てくれた。っていうのはね、鴟尾を作る時に、変な話だけど、間違ってる。鴟尾を作る時に、瓦宇の小林キゾウさんって、章男さんの前の社長さんでしょ。この人に私が「玉虫厨子だ」って言っちゃったもんだから、あれをただ拡大した様なのを作っちゃった。それだもんだから、松浦さんに怒られちゃったんだけど、「もう出来ちゃってます」って言って。そんな事があって、なおさら私が「これは小林さんが言ったのをまるまる信用しちゃこまる」と思ったもんだから、それで「ちょっと見に来てくれ」って言って、お願いした。これが何でダメかっていうと、そのままの形で葺くと、鴟尾がちょっと傾くんだよね。座りが悪いっていうか。それでいろいろ細工して、やっとこどっこい。その前から松浦さんにいろいろ言われてた。「棟から鴟尾に行く曲線がおかしくならない様に」とかね。結局、棟の上端の曲線がうまく鴟尾に向かって反りあがっていく感じにしたいと。
安田:では現在聖光寺本堂に乗っている鴟尾は玉虫厨子をモチーフにして瓦宇さんが作ったものなのですね。
斎藤:そう。「よく分かってますから」って言ってさっさと作っちゃった。(中略)
松浦:で、何とか瓦の葺き方を工夫して、バランスを取ってその鴟尾を据えたんですね。その時に大岡先生に見て貰ったと。その時に大岡先生から何か言われましたか。
斎藤:せっかく来たんだからって事で良く見て、多少「こういう風に」って指示はされたと思います。丁度その頃に、増上寺の図面を描いている訳で。で、現地を見ながら二人で「松浦君、これで大丈夫だな」って確認し合ってましたよ。
松浦:錣葺きのテストケースみたいな感じですかね。
斎藤:いや、テストケースはもっと前からあるんだよ。ずっとやって来て、これで完成かなっていう所で、このパターンで増上寺をやろうという事だね。私はその時は聞いていないんですが、増上寺の設計をされてるっていうのは、この聖光寺の竣工式の時になんかそんな話を昼食の時に他の席でされてたそうです。(中略)同席した他の人間がいてね、その人に聞いたところだと、竹中の社長、竹中錬一さんが「大岡先生、今何の仕事をやってらっしゃいますか?」って聞いたら「芝の増上寺を設計してます」と言ってたと。それで芝の増上寺が聖光寺と同じ形をしているんだなって私思った。
安田:施主からの要望が出た事はありますか。
斎藤:聖光寺ではね、基壇の石は鉄平石です。これは施主の方の事務長みたいな人がいて、その人から「現地の物を利用できないか」って言われて、「諏訪で現地の物って言ったら何だ?」って松浦さんと二人で相談したら、「じゃあ鉄平石かな」って事で、鉄平石を張ろうかって事になった。基壇の葛(かつら)石(いし)みたいなのはちゃんと稲田石でやってますけれど、壁面は鉄平石。
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(聞き手の「安田」は安田工務店の安田徹也氏、「松浦」は松浦弘二氏子息の松浦隆氏である。なお本文は安田徹也氏の聞き取り記録から引用しました) |
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より大きな地図で 大岡實建築研究所 建築作品マップ を表示 |
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(参考)潮音寺本堂 |
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