〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法  大岡實建築研究所
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眞光寺(しんこうじ) 本堂(神奈川県横浜市)
     
草創年代、開基、開山について、詳しいことはわかっていないが、「新編武蔵風土記稿」には「古刹なること論なし」と記載されており、弘明寺に次ぐ古刹だという。大正12年まで、現在の上大岡幼稚園のある場所(旧地名では字入ノ前)にあったが、関東大震災で倒壊してしまったため、昭和3年に現在地に移転、さらに、老朽化のために昭和46年に新築し現在の本堂となったようだ。
さて、この本堂の屋根は大岡實の意匠上の特徴である錣葺(しころぶき)となっており、医王寺(東京都世田谷区)についで二番目の錣葺屋根を持つ作品となっている。

本堂/小高い山頂にあり海風(南風)が強く吹く場所柄である/鴟尾(しび)が堂々としてアクセントになっている

錣葺屋根の端部では上層と下層の段差が大きく口が開いているように見える。後年、増上寺本堂でも錣葺の屋根をものしているが、その際の記事に、「上層と下層の屋根に一体性をもたせるために、屋根面に僅かなねじれ面を造る工夫をして納め、今までの中で一番良く納まった」と述べており、眞光寺の段階では試行錯誤の点もあったのであろう

正面立面図

斉藤昌昭氏撮影

妻部分及び木造小屋組

錣葺屋根段差部分詳細図

拡大図/勾配屋根(小屋組)は木造で「段差部」はコンクリート造/軒先の屋根及び垂木は木造となっているが、丸桁(がんぎょう)木負(きおい)茅負(かやおい)はコンクリート造となっている

※下線部分について
眞光寺本堂の設計は、先に施工を依頼されていた社寺建築工務所(大岡實と旧知であった)からの紹介によってスタートしたようで、そのためもあってか鉄筋コンクリート造の中にどんな形で木造をコラボレーションできるかを工夫した結果とも思われる。(このような模索は後の法蔵院本堂でも見られる)
次に斗拱(ときょう)他を見てみよう。

斉藤一平氏撮影 

斉藤一平氏撮影 

   

挿肘木(さしひじき)がしっかりと丸桁(がんぎょう)を支えて、力の流れが形に安定感を与えている/軒下腕木(挿肘木)の繰形(くりがた)付きの意匠に工夫が凝らされている/挿肘木を長押(なげし)で受けた形が見てとれる/丸桁・木負、茅負ともコンクリート造で垂木(たるき)二軒(ふたのき)とも)、勾配屋根(小屋組)は木造となっている

     

挿肘木廻り拡大図

向拝(ごはい)部分

向拝部斗拱蟇股(かえるまた)木鼻(きばな)/蟇股の形が妙である/柱上部はRC造に適した大斗(だいと)の部分の処理が目を引く(大斗の下に皿斗(さらと)を置き、大斗のくびれで柱の断面欠損をさせず、また視覚的に気にならないように工夫している)

向拝部虹梁(こうりょう)

身舎(もや)の柱は壁付きであるので外部側はフカシ柱とし大面取りをして外観の柱が
ゴツク見えるのを救っている

平面図

また、眞光寺では八角堂(木造)も設計し、実現している。
年月 西歴 工事名 所在地 工事期間 助手 構造設計 施工 構造種別
昭和42.08 1967 眞光寺 本堂 横浜市上大岡 昭和42.08〜45.05 松浦弘二 国建築事務所 社寺建築工務所 RC造
昭和52.07  1977 八角堂  横浜市上大岡   昭和52.07〜53.07 松浦弘二   松浦弘二 社寺建築工務所 木造
          意匠設計共       

去ミ寺建築工務所 横浜市保土ヶ谷区岩井町396

ここに一枚の写真が残っている。

松浦弘二(まつうらひろじ)

大岡實(おおおかみのる)


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なお、文中の鉤括弧(かぎかっこ)の部分は文中で示した資料や大岡實著作並びに寄稿他から引用したものです。
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