〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法
 大岡實建築研究所
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川崎大師平間寺(へいげんじ)大山門(神奈川県川崎市)
「厄除け大師」として庶民の信仰をあつめている川崎大師平間寺で、開創八百五十年の記念事業として建立されたのが、この新「大山門」である。
この設計に当って留意した点について昭和52年11月1日の日刊建設工業新聞で次のように述べている。
「私は大寺院の中心的堂宇は堂々たる風格をもち、荘重雄健な建築でなければならないと考えている。本堂もこの点に留意して設計したのであるから、山門も当然それに調和しなければならない。日本で堂々たる建築といえば、飛鳥奈良時代と鎌倉時代で、なかんずく飛鳥、奈良の建築は優れているので、その気分を出したいと考えた。」
そこで法隆寺中門をヒントに設計をするのである。
「私は日本の門の建築では法隆寺の中門が最優と考えている。法隆寺中門は一重に比して二重の縮小率が大で、しかも軒の出が大きく、安定感があるのと同時に奥行が深いのでボリューム感と立体感が強い。重層の建築は上が小さいので安定感を出す原則的な要因であるが、軒の出や一重と二重の高さの関係、更に柱と横架材で構成される矩形の間のバランスなどが重要な点であり、また部材の比例も重要で、飛鳥、奈良の建築は柱が非常に太いが、横材は他の時代に比して非常に細い。それは太い柱で上部を力強く支える感じを強調しているのに横材が太いと、その感じが消されてしまうからである。しかし横材のボリューム感を失わせないため、長押(なげし)等は出が大きい。更に細部もその建築の性格に合致したものでなければならないのは言うまでもないが、法隆寺の建築はこれらのすべての点に優れている。」
ところが「山門の建築について」によると何度も現地に行って、「その設計図によって建ち上がった門の姿を想像してみると、法隆寺中門の形が、この場所では、必ずしも最適ではなさそうな気がしてきて大いに迷う」ことになる。それは「非常に奥行が深い法隆寺の中門より、比較的横長の門の方が、調和するのではなかろうか」と考えたわけである。
そして京都の東福寺(とうふくじ)三門(さんもん)をヒントに設計を変更することとなる。
「山門の建築について」によると「法隆寺の中門以外、堂々たる姿態をもっているのは、京都の東福寺の三門である。そしてこれは、横長の平面である。この東福寺の三門を頭に描きながら、横長の平面にする設計図を書いた。もちろん東福寺三門そのままではない。私なりに形を考えて、二重目の縮小の度合いを大きくして、安定感を出すことに努めた。また、二重目を小さくすることによって上の方が貧弱になることを避けるため、二重目の軒の出を深くして、大きな屋根の広がりによって、荘重さを出すことに努力した」という。
法隆寺中門
東福寺三門
また、「山門の建築について」の中では「もちろん、前に述べた柱と横材による矩形の形のバランスも考えてあり、部材の太さ細さも考えてある。矩形の形についてであるが、非常に落ちついた感じを受ける建物の建築をみると、中央の矩形(くけい)はほとんど例外なく正方形に近い。従って、これは一つの基本的な比例と考えられる。ただし、両端(すみ)の部分にいくにつれて柱間が狭くなり、従って矩形は縦長になっていく。これは、隅の部分は、実際においても大きな荷重がかかるし、軒が四十五度の方向に出るので軒の出が大きく、視覚的にも、隅が堅固に支えられている感じが必要だからである」とも述べている。

「荘重雄健な気風を内にもちつつ、外観はあくまでおだやかで、優美に、荒々しさや鈍重さを見せない」デザイン

なお、昭和52年12月10日の「有鄰(ゆうりん)」では「鉄骨鉄筋であるので、十分軒を出すことができ、荘重雄大な気分を出すことを目指して設計した」と述べている。
さて、斗拱(ときょう)であるが、これは数年前に建立された増上寺大殿で見られるような、より大仏様が強調されたと思われる繰形(くりがた)のある挿肘木(さしひじき)三手先(みてさき)斗拱に組み込まれ、尾垂木(おだるき)も斜めにせずに水平に扱って変化ある形に整えたデザインとなっている。
ここでも挿肘木形式が採用されるわけであるが、大岡實は「山門の建築について」の中で次のように述べている。
「木造の場合は、実際に肘木が柱を貫通しているのであるから、その感じが出てよいが、鉄筋コンクリートの場合は、実際に突き刺さった感じにならないので好ましくない。私が採用している方法は、肘木を太く長い腕木(うでぎ)にして、下を長押で受けて、差肘木(さしひじき)の好ましくない感じを救っている。工夫のやりやすいのは、柱が壁についていて、実際の構造体を内側に隠せる場合で、組物はただの飾りとして木造的手法で組めるから困難はなく、山門の二重目の組物は、この方法によっている。しかし、一重目は、門の場合、柱が独立して立っているので、そのような工作ができない。また、最下部の差肘木の下に長押を廻すことも、全体の形の上からできないので、止むを得ず差肘木のまま外形にあらわれているが、何とか柱に突き刺さった感じが多少でも出るよう、仕上げの段階で工夫してみるつもりである。」
このように、壁付きの柱の場合や独立柱の場合、そして長押を廻すことが適切でない場合について、さまざまな工夫を凝らすなど、苦心していることがみてとれる。
なお、尾垂木についても「木造の場合、「尾だる木」という斜の材が使用されることが多く、現に本堂の場合はこの形式を採用した。しかし、その後の経験から、鉄筋コンクリートで斜の材を使うことは、かなり仕事に手間がかかって、やりにくいことがわかったので、今回の場合は全部水平に組んでいる。」と述べている。
ところで、もう一つ大岡實が苦心した点は二重目につく高欄(こうらん)(手すり)である。
大岡實は今回の高欄の設計に当って「マンネリズムに陥いるのは面白くない」と、まったく新しいデザインを考える。印度やネパールの多種多様な組子を入れて飾った手すりをヒントに色々考えてきめたのが、この案である。(「山門の建築について」より)
また、「架木(ほこご)平桁(ひらげた)の間および腰組は、組物を組むと高欄の高さが高くなり過ぎるので、「花肘木(はなひじき)」と言われる、輪郭に刳形(くりがた)があり、内部にも彫刻の入ったものを配した」とも述べる。(「山門の建築について」より)

インターネットより

施工に先立って制作された高欄の花肘木のモックアップ
ここでは増上寺大殿での高欄のデザインの件(自分がデザインしたものと違ったものになってしまったこと)が、この高欄に掛ける執念を燃やしたのではなかろうか。
こうして昭和50年7月起工、昭和52年11月2日竣工した。
年月 西歴 工事名 所在地 工事期間 助手 構造設計 施工 構造種別
昭和50.04 1975 川崎大師平間寺 大山門 川崎市川崎区 大師町4-48 昭和50.04〜51.12 松浦弘二 松本曄構造設計 大林組 SRC造
     
 
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