~社寺建築☆美の追求~ 大岡實の設計手法
 大岡實建築研究所
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光厳寺(こうごんじ)本堂(富山県富山市)

本堂/昭和25年10月~昭和26年8月/助手(田島美穂)/構造設計 小野薫/施工 地元業者/RC造

大岡實の処女作は浅草寺本堂であったが、工事が着工されるまでには寺側の諸事情で時間が掛かり、その間に二番目の設計である光厳寺本堂が建立されている。
写真を見て分かるように斗栱(ときょう)挿肘木(さしひじき))、丸桁(がんぎょう)隅木(すみぎ)垂木(たるき)などが簡略化されながらも伝統建築のパーツが散りばめられている。また、「大岡實は自身のノートの中に『材料、構造が全く変わったのであるから、その材料、構造の特性を生かした全く新しい形にすべきである』と書いており、忠実に伝統的社寺形式を守ることにはそこまで重点を置いていないようである。むしろコンクリートという新しい材料に適した社寺の形式を目指していると思われる。このように大岡實はコンクリート造に適した簡素な造形をベースとしつつ、細部に斗や長押、瓦などの日本風意匠を取り入れる形で設計しているといえる。」(「建築史学者・大岡實の社寺建築設計」という研究課題で、初めて大岡實のコンクリートによる社寺デザインを取り上げた、横浜国立大学大学院の山田なつみ氏の修士論文より)
浅草寺本堂では寺側から旧本堂の外観の復元を強く依頼されたこともあり、伝統的な日本の社寺建築の形式を踏襲した伝統的木造社寺形式をそのままコンクリートで再現するにとどまらざるをえなかったのであろうが、この光厳寺本堂では同じように光厳寺住職からは伝統的な様式にしてほしい旨のやりとりがあったが、伝統木造建築の特徴である軒先の斗栱(挿肘木)、丸桁、隅木、垂木などは簡略化され、軒反りも僅かに読み取れるだけである。

従来の木造ではなく、コンクリートでその細かく曲線が多い形を造ることは大変な苦労を要することとなるがその反面コンクリートの流動性は自由な造形を可能にすることでもある。簡略化されているとはいえ隅木や垂木の表現はコンクリートの施工面から見ても一つの工夫であったと考えられる。また、石造の塔の屋根などのそういった表現にも似通っているのかもしれない。

ここには「コンクリート造に適した簡素な造形をベースとしつつ、細部に(ます)長押(なげし)、瓦などの日本風意匠を取り入れる形で設計」する姿勢がみてとれるのである。これは大岡實の大きなチャレンジであったのではないだろうか。そして三番目の設計となる川崎大師平間寺(へいげんじ)本堂では光厳寺本堂のようにこれまでの社寺建築の伝統から大きく逸脱することなく、伝統的な社寺形式に則りながらもコンクリート造に適するよう工夫して設計していくのである。このような意味からも光厳寺本堂は大岡實の設計活動の原点として捉えられるのではないだろうか。

建設の発願主は総持寺(そうじじ)貫主とのこと

正面の向拝に当たる部分

軒廻りが簡略化され、洋風の中にも伝統建築のパーツが散りばめられている

柱、(かしら)(ぬき)長押(なげし)が伝統木造建築の雰囲気を醸し出している/僅かながら(のき)()りが見られる

この軒の反りについては田島美穂氏が大岡實に宛てた手紙の中に興味深い一文がある。「先生が旅館でスケッチされて考た軒裏では軒を隅にて日本建築のように反上げるのでせうか。又、向拝の軒等と釣り合いがとれますでせうか。」

平面図

正面立面図

柱の上には大斗(だいと)がのり、屋根は軒先が本瓦(ほんがわら)のようだが、実物は僅かに挿肘木が付けられ、屋根もフラットな銅板葺きになっているようだ

断面図

側面立面図

意匠的な(かえる)(また)(もち)(おく)りは省略あるいは簡略化されている

また、図面では本瓦葺きのようであるにも拘わらず、実際の屋根は写真の通り銅板葺きになっていることについては、施工する時点で銅板葺きに変更したのではないかと考えることもできる。それは先端を瓦にするとなると、軒瓦をある程度の勾配で敷き、棟の丸瓦をのせるが、そうすると瓦部分の高さが必要で、軒先に重たいものがのっている感じになってしまう。ところがこの建物は、軒屋根の水平線を強調することがデザインの要となっている。瓦では先端の厚みが大きくなり過ぎると判断したのではないだろうか。その結果、先端は薄く、伸びやかな水平線を演出している。

申し訳け程度に簡略化された(こう)(りょう)/入り口を入ってすぐの外陣(げじん)天井上部は高窓となっており外部からの
自然光が差し込む(従来の寺院建築ではおよそ考えられないようなモダニズムともいえる設計)

内陣(ないじん)の両サイドにのみ立派な虹梁(2本)が架けられている

横山秀哉氏のコンクリート造の建築様式の分類からすると、東本願寺浅草霊堂のような伝統式(簡略型)というよりはむしろ、近代式(フラット型)といっていいようなスタイルである。(末尾の参考資料を参照のこと)
山田なつみ氏の修士論文によると、光厳寺本堂は双堊(そうあ)建築株式會社として受注した建物と考えられ(大岡實は昭和24年末頃、小野薫氏の紹介により双堊建築株式會社に入社し、その社員として設計活動を始めていた)そしてどう見ても伝統的な様式とはかけ離れたスタイルの設計案に対し、光厳寺住職からは伝統的な様式にしてほしい旨のやりとりがあったようである。(たとえば虹梁を入れるべきところは入れていただきたいというようなことや「様式はRC造でありながら格別の新味はなく伝統を重んじた」愛宕の青松寺(せいしょうじ)を参考にしてほしい旨のやりとり)しかし、結果としては現代風の寺院が建てられることとなった。

そして、このような経緯からたった2本であるが写真のような虹梁を見ると大岡實の配慮が伺える。
なお、青松寺については末尾の参考写真を参照されたい。
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光厳寺住職から大岡實へ宛てた手紙に上記のことが記されている/川崎市立日本民家園「大岡資料」より

また、ここに建設中の一枚の写真が残っている。

大岡實博士文庫書類資料目録Ⅱ(新築設計関連資料)川崎市立日本民家園編より
右手の工事看板には施工会社坂口組と書かれている。

富山県富山市五番町7-37 所在

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なお、文中の鉤括弧(かぎかっこ)の部分は文中で示した資料や大岡實著作並びに寄稿他から引用したものです。

参考写真
愛宕青松寺本堂/昭和6年(1931年)再建/RC造

平成23年撮影

この青松寺本堂も最近リユーアルされて綺麗になっている。

「コンクリート造の社寺建築様式」
伝統式
木割(きわり)型)

伝統を生かす限りやはり木割をふまえて、それを応用しあるいは参酌し、創意も加えてまとめるのが常道である。
おおむね柱・梁・壁の構造主体を鉄筋コンクリート造にすることはもちろん、その他斗栱・虹梁・木鼻(きばな)・軒回りから屋根に至るまで、不燃材で忠実に、これまでの木造建築の木割を踏襲して造り出そうとしているものがある。木割に忠実といっても柱間が広く、柱頭(ちゅうとう)(ちまき)に曲面で絞り、上に斗栱(ときょう)を置くとすれば、有効断面積が縮小して見掛けの柱は太くなりがちであるとか、施工の楽なように繰型(くりがた)や絵様などを簡略にして取り扱うなど、おのずから特質がある。
このような伝統的な造形構成が保守性の強い宗教界に根強く歓迎されて今日まで残っている。
許されるなら工費と手間と期間をかけてもという声は多い。
コンクリートをもって木造のイミテーションを造ることは不合理であるので、伝統式としても造形的に破綻の生じない限り構造施工に無理の少ないような意匠の簡略化が考えられるのは当然である。
大きな屋根の軒の自重を軽減するために軒の出をできるだけ浅くするとか、垂木(たるき)型を変形あるいは省略、出桁造(でげたづくり)とかせがい造に倣って支持する。
コンクリート造としては納まり上いくらかの省略簡略化するのはまぬがれない。
天竺様(てんじくよう)大仏様(だいぶつよう)差肘木(さしひじき)を応用した考案は合理的。(川崎平間寺(へいげんじ)大師堂)
柱頭を時には大斗肘木(だいとひじき)あるいはこれを崩した特殊繰型をもって納める手段もある。(横浜眞光寺本堂)

このタイプの建物例として東京浅草寺、川崎平間寺大師堂、東京芝増上寺大本堂
横浜眞光寺本堂等が挙げられている。
(簡略型)

軒裏の型垂木や柱頭の斗?の取り扱いが主となるが、釣合上屋根の簡素化、虹梁・木鼻などの繰型・絵様などを適切に簡易化する。
全体のプロポーションが良好であれば木割型に比してそれほど見劣りはしない。
この辺が伝統式コンクリート造寺院建築の進むべき道かと思われる。
伝統様式に愛着を感ずるのは永い伝承と保守的な観念によるもの。
巨大な屋根、深い軒の出、柱・虹梁・繰型・絵様(えよう)などの概念から抜けきってはいない。


このタイプの建物例として横浜泉谷寺本堂、東京浅草東本願寺霊堂が挙げられている。
(応用型)

コンクリート造として合理的な構造様式で、その主要部分に仏教の伝統造形意匠を象徴的に適宜応用付加する。
下手をすると木に竹を接いだ結果となる恐れも多い。
応用型で優れた構成を得ることは至難の技である。
伝統式応用型はほとんど近代式に移行解消していく感が深い。


このタイプの建物例として川崎平間寺信徒会館が挙げられている。
インド式
(築地型)

どうしてもその造形イメージを伝統的な構成と繁雑な意匠に頼らざるを得ない⇒インド式の着想に至る。
仏教の故地であるインド地方の様式意匠をかりる。
昭和30年をピークとして、その後は近代式の流行におされてあまり発展をみていない。


このタイプの建物例として東京築地西本願寺別院が挙げられている。
(西域型)

インド・西域あたりの様式のヒントからと思われる異端的な建築。
築地型から見てやや異端性が強く、まとまりにも欠きその影響力はさらに少なかった。
川崎平間寺祈祷殿がこの種の威容を出現し、築地本願寺本堂と対峙を見せている。


このタイプの建物例として川崎平間寺祈祷殿が挙げられている。
近代式

屋蓋部分を単純に扱っているのを特徴とする。
その単純性の中にも仏教的表現を求めて、基壇(きだん)向拝(ごはい)の設置、柱列の強調、深い軒の出、花頭窓(かとうまど)蓮華紋(れんげもん)宝珠(ほうじゅ)などを意匠的に応用するのを常套手段とし、意匠的細部が構造主体によく調和し、均整のとれていることが大切。

(フラット型)

フラットルーフ陸屋根の率直簡明な様相
近代式の中では最もひろく行われている
単純直截(チョクセツ)であるだけに、何となく物足りない⇒曲面屋根(ケーブル型、シェル型)

(ゲーブル型)
(シェル型)
(ビル型)

伝統的な寺院のイメージから離れて専ら機能的経済的に処理。

(アバン型)

近代化に徹して、模倣、省略、応用から次第に創造へと進み、一部の設計者には、初めから仏教的あるいは宗教的な制約や伝統的な様式などには一切束縛されないことを信条として、前衛芸術と同様に、造形的な合理性と個性美の表現のみを追求する。

コンクリート造の寺院建築(横山秀哉著)より抜粋

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