~社寺建築☆美の追求~ 大岡實の設計手法
 大岡實建築研究所
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川崎大師平間寺(へいげんじ)八角五重塔(神奈川県川崎市)
この八角五重塔は弘法大師・空海上人の入定一千百五十年にあたり、また本尊大開帳の記念事業として建立された。
大岡實は設計の趣旨をその草稿の中で次のように述べている。
「私が川崎大師平間寺に八角五重塔を提唱したのは、先ず形の点からである。八角形の建物は四角の建物より屋根の形が複雑で、形に変化があり、かつ穏やかさを持っている。軒も八方に出るので賑やかさを持っているので華麗な感じがある。かって伊豆の遠笠山の霊友会の道場の中心建築に八角三重塔を設計したのであるが、姿がよいと好評であった。今回の設計は軒の出を大きくし、堂々たる姿とすると同時に上記の変化である穏やかさと同時に華麗さを出すよう努力した。
現存する八角塔は重要文化財に指定された建築では、長野県の安楽寺三重塔のみであるが、古くは八角塔が建てられたことは記録から明らかである。奈良時代、西大寺の塔は、最初、八角五重塔に計画されたことが記録にあり、実際もその計画で最初工事が進められた事が、先年の発掘により、八角塔の基壇が発見されたことによって確認された。また平安時代後期、白河天皇の発願によって建てられた法勝寺の池の中島には八角九塔の塔が建てられた。平安時代人が華麗さと、穏やかさを特に好んだことは定説であり、この点で八角塔に着目したことは頷かれる。
更に宗教的に考えても、真言宗の塔は「宝塔」が基本である。宝塔の塔身は円である。寺院建築において八角堂は「円堂」と言われ、(奈良興福寺の北円堂、南円堂がその一例である)八角堂は「円」を意味している。この点がらも、真言宗である川崎大師平間寺に、八角五重塔を建てるのは、大いに意義があることと考えられる。」
さて、その設計にあたり大岡實は昭和59年3月3日の建設工業新聞で以下のように述べている。
「すべての建築に、全体の形の比例均衡が重要であることは言うまでもないが、五重塔のように全体の形が定型化している建築においては、それが一層顕著にあらわれるのである。勿論、比例関係と一口に言っても、色々あって各重の高さが上にゆくに従って次第に低くなってゆく割合。それに関連して軒の出の関係等複雑であるが、最も簡単な、初層(第一重)の平面の大きさと最上層(第五重)の平面の大きさの比例を取って見ても、その形態の変化をはっきりと言い得るのである。
まず、法隆寺の五重塔は第一重一八・〇尺角、第5重九・〇尺角(但し飛鳥尺/現在の曲尺の約一・一八位にあたる)であって、第五重が第一重のちょうど二分の一、即ち〇・五になっている。同様にして、薬師寺東塔(この塔は三重塔の各重に裳階〈もこし・廂屋根〉を付けた特殊な形であるが、全体の比例は五重塔である)は〇・四一七。海竜王寺五重小塔(一〇分の一の模型と考えて)は〇・四四七である。
以上はいずれも奈良時代以前の塔であって、したがって奈良時代以前は〇・五以下であったことがわかる。ところが、平安時代の醍醐寺の塔(九五二年)になると〇・六二一になり、室町時代の興福寺の塔(一四二六年)は〇・七〇二。江戸時代東寺の塔(一六四四年)は〇・七六二となり、時代が下るに従ってその比率が増大してゆくことがわかる。
上にゆくに従って細くなってゆく割合が大きいほど、安定度が高いのであって、ことに奈良時代以前の塔の比率が極度に小さいことは、この安定度が他に比して極めて高いのであり、ここに法隆寺の塔や薬師寺の塔が堂々たる風格を持っている根本的な原因がある。しかも、上の方の塔身が細かいから、キリッと引き締まって、寸分のすきがない形となっているのである。これに比して、後世の塔は上が太いので締まりがなく、ぼてついた形となってしまっている。
今回の塔は、かの法隆寺の塔の堂々たる姿を再現すべく、法隆寺の塔にならって、第一重の八角の指渡しを六㍍、第五重をその二分の一の三㍍とした。」
初層から最上層への塔身低減率を二分の一にしているという
立面図
平面図/八角は円を意味するという
基壇廻り詳細図
断面図
断面図
軒廻り詳細図
軒廻り詳細図
軒廻り詳細図

御本尊 金剛界 大日如来 /昭和57年11月29日 相輪露盤内に納められる /翡翠(台湾産) 光背上まで21cm

相輪詳細図
拡大図
川崎大師平間寺境内全体
さて、ここに模型の写真がある。
これについては次のような経緯がある。(同じく昭和59年3月3日の建設工業新聞より)
「日本建築においては、軒下の組物(斗栱・ときょう)も重要な要素である。
五重塔の場合は、三手先の斗栱といって、三段に伸びた様式が基本形式であるが、私は、三手先斗栱としては奈良時代初期の薬師寺東塔が最優であると考えているので、これを基準にした。ただ、斗(ます/腕木に乗る小さな材)は一般に四角である。これは建物が四角であるから当然であろうが、今回は八角であるから、斗も八角にしたら非常に調和が良くなり、成功すると考えたのであるが、万一の場合を考えて、四角のものと八角のものと、両方の実物大の模型を造ってみた。
ところが、結果は予想外であって、八角の方は何となく力がなく四角の方がはるかに力があることがわかった。つくづく、造形的設計は頭の中で理屈で考えたことをそのまま実行することは、すこぶる危険であることを知った。」
最後に、建設中の写真をご紹介する。
左手は松浦弘二

年月

西歴

工事名

所在地

工事期間

助手

構造設計

施工

構造種別

昭和55

1980

川崎大師平間寺 八角五重塔

川崎市川崎区 大師町4-48

昭和55~58.11

松浦弘二

松本曄構造事務所

大林組

SRC造

また原寸場(げんすんば)での写真が残っている。
現寸場での大岡(みのる)(椅子)と松浦弘二(ひろじ)(その右)

大岡實と松浦弘二(左)/後列左は越川辰蔵(たつぞう)氏(原寸師(げんすんし))、右は松本(ゆう)氏(構造設計)

なお、文中の鉤括弧(かぎかっこ)の部分は文中で示した資料や大岡實著作並び
に寄稿他から引用したものです。
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